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黒猫陛下の書斎

「試筆」とは、試し書きのことではない。

セーラーのペンクリニックに行ってきた

 
 
 
何も万年筆に限ったことではないが、同じ道具をいくつも持つ人にとって、多かれ少なかれ個体によって愛着に偏りが出てくることは避けて通れない。俺の場合もまた、できるだけ早く購入することに決めたカスタム74を除けば、いま持っている万年筆の中ではセーラーのプロフェッショナルギアが最も書きやすく、普段使いの1本としてたいへん重宝していた。
 
そのプロギアに変化が訪れたのはつい1ヶ月ほど前のことだった。インクの流量、いわゆるフローがだんだん小さく(渋く)なり、ついにはかすれて出なくなってしまった。ペン先を水に浸けて一晩置いてみたりしたが改善の様子はなく、仕方なくセンチュリー#3776に代役を任せ、プロギアは機を見て調整してもらおうと考えていた。そこに飛び込んできたのが、セーラーのペンクリニックの情報。これは行くしかないと思い、早速行ってきた。
 
生涯4度目のペンクリニック。セーラーのペンクリは今回で2回目になるが、川口先生との対面は初。趣味文を初めとする文具ソースでは常連の有名職人であり、一度会ってみたかった人である。こういうイベントの他には、なかなか会う機会もない。
 
今回のルールは、調整をお願いできるのが1人2本までとなっていた。俺はプロギアさえ調整してもらえればそれで満足だったので、1本だけ調整をお願いすることに決めていた。4回目のペンクリとはいえ、ドクターの前に座る瞬間はやはり緊張する。早速、ナガサワオリジナルの3本差しペンケースからおもむろにプロギアを取り出し「(今回調整をお願いしたいのは)プロギアなんですが……」と言った。その時、先生が小さくにやりと笑った。メーカーを問わないとはいえ、やっぱり自社製品が出てくるほうが嬉しいに決まっている。
 
書いているうちにインクが出なくなるという症状の説明を聞き取るや否や、先生の手はもうプロギアと一緒に紙の上をすばやく動いていた。そしていきなり原因を突き止めたらしく、ペン先を紙やすりにこすりつけ始めた。このときの絶妙な動きや角度、力加減は、とても数年では身につかない職人芸である。ものの数十秒後には、ペン自体の重さだけでするすると線が引ける理想の状態になっていた。20万本を超える万年筆を診てきたというキャリアは、伊達ではない。
 
満足してお礼を言っていたら、先生に「早く(次の万年筆を)出しなさい」と言われた。残るはスーベレーンとセンチュリーだが、どちらも特にトラブルは起きていないので、どっちにするか少し迷った。そして、どうせなら高いほうを診てもらおうと、スーベレーンを渡す。
 
2本目の調整は予定外だったので、「それは別に悪いところがないんですけど……」と漏らすと、「それはあなたがそう思っているだけでしょ?」と言い返されてしまった。現に「この万年筆、ベストの状態じゃないよ。今からもっとすごい状態にしてあげよう」と言われ、調整から返ってきたスーベレーンで字を書いてみると驚愕。紙やすりを使ってほんの数十秒調整しただけなのに、劇的に変化して返ってくるので意味がわからなかった。
 
さらに、後ろに人が列んでいないのをいいことに3本目の調整もしていただけることになった。「早く出しなさい」と言われ、最後の1本、センチュリーを差し出した。これは間違いなく状態がいいと思っていたのだが、先生の反応はそうではなかった。一瞬の調整で、驚くほどするすると書けるようになる。やっぱり意味がわからない。
 
唖然とする間もないほど、いとも簡単に調整を受けた3本の万年筆。とりわけ、プロギアが完全に息を吹き返したのが嬉しくてたまらない。もう一度、あの柔らかすぎるほど柔らかい21金のペン先で、凛とした線を描けるのだ。
 
同行した恋人も同じように3本の万年筆を調整してもらい、結果2人で6本も診てもらった。後ろに人が列んでいたらルール通り2本までだったに違いない。どうやらその数時間後には混雑したらしいので、タイミングが良かったのだなあと思う。
 
これまで計4回のペンクリに参加してわかったのは、ドクターによって調整の仕方も、話の内容も全然違うということである。川口先生は自身のキャリアにとてもプライドを持っている様子に見え、いくぶん親分肌の性格があった。調整は驚くほど短時間で、次から次へと調整をしながら、しかし口は休めないという、ドクターのお手本のような人であった。
 
川口先生の話で一番印象に残ったのは、ペン先を同じ太さで揃えるな、という話だ。同じ太さで揃えると、一部のペンだけを偏重して用い、一部のペンは放ったらかしにしてしまう。これには誰もが共感せざるを得ないだろう。ご存じのように、万年筆は継続して使うことが何よりのメンテナンスになるから、そのようなことが起きないようにするには、太さの違うペンを持っておくことが大事なのである。このような先生の話を聞いて、自分の中で細字ブームと太字ブームが交互に来るのは幸いなことだったと思った。
 
また機会があったら川口先生に万年筆を診てもらいたい。
 
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