黒猫陛下の書斎

「試筆」とは、試し書きのことではない。

何本までが万年筆初心者なのか?


今月、国内最大手のパイロットから初心者用万年筆「kakuno(カクノ)」が発売され、話題になった。ツイッターでフォローする万年筆ファンや文具ブロガーらがこの万年筆を異口同音に高く評価していたので、気にならないはずはなかった。早速いつもの文具センターで試し書きを行ったところ、驚くほど書きやすく、入門モデルの代表格であるサファリと同等かそれ以上であると感じた。軸が軽量な上に、重心のバランスがよい。

カクノ
パイロット公式ページ
http://www.pilot.co.jp/products/pen/fountain/fountain/kakuno/

カクノの見た目はラミーの「ABC」やペリカンの「ペリカーノジュニア」などと明らかに類似しており、おそらくパイロットも開発時からこの2つを念頭に置いていただろう。原色のキャップに丸みを帯びた胴体(軸)という組み合わせは、ポップでシンプルな印象を受ける。パイロットはすでに「コクーン」や「プレラ」といった初級モデルを販売(そして成功)していたが、新しく発売されたカクノはまた違うジャンルの商品である。考えてみれば、プレラやコクーンはどちらも価格が3000円を超える。そのため、1000円台の価格帯では海外ブランドに顧客を奪われていたのではないだろうか。しかし廉価版ほどメーカーの腕を試すものはないと思う。安易に出せるものではない。

 

今回パイロットが満を持して売り出したカクノは、ネーミングのほか、パッケージのデザイン、三角形の持ち手、鉄ニブの先に描かれた笑顔のマーク、そして価格と、どれをとっても「初心者」向け、すなわち廉価版であることが前面に出ている。一方で、カートリッジだけでなくCON-20とCON-50のコンバーターにも対応するなど意外に本格的な一面も見せ、またフローもパイロットらしい潤沢さで気持ちよく書けることから、このカクノという万年筆は「爪を隠した鷹」のような存在といえる。初心者向けでありながら、往年のファンも唸らせるすごいやつが来た、というのが第一印象だ。まあこれだけ褒めておきながら、最後の1本はカスタム74と決めている。カクノは買わない。
 
 

ずっと疑問に思っていたこと「何本までが万年筆初心者なのか?」

さて、いま言ったようにカクノは「初心者」向けの万年筆ということだが、実は前から疑問に思っていたことがある。それは、万年筆の初心者とは、いったいどのような人を指すのか、ということである。一口に初心者といっても、公然の定義があるわけではない。自分では初心者だと思っていても、周りの人はそうは思っていない場合があるし、その逆もある。初心者判定にどのような基準を用いるかは人それぞれだが、どの基準が最も説得力があるのか。この際なので、考えてみた。

【仮説1】本数説

所有する万年筆の数が少ないほど初心者であり、逆に多いほど初心者でないとする説。最初に考えられる基準がこれである。俺の場合、今のところ3本の万年筆を所有しているが、これまでに購入した万年筆は8本ある。つまり、残りの5本はすでに手放してもうない。ここで、本数説は所有本数説と購入本数説とに枝分かれする。所有本数説をとると、俺が所有する万年筆は3本だから、まだ初心者であると言って差し支えなかろう。しかし購入本数説をとると、俺が購入した万年筆は全部で8本になり、判断が難しくなってくる。8本程度ではまだまだという人もいれば、一般的にみて同じ種類のペンを8本も買うのは好き者だという人もいるだろう。

【仮説2】時間説

万年筆の所有および収集歴の年数が少ないほど初心者であり、逆に多いほど初心者でないとする説。この説も一般にはかなり有力視される。俺の場合、最初の万年筆を買ったのが約5年前だが、この年数もまた微妙である。往年のファンに比べると5年ではまだ青く、逆に人生のおよそ5分の1の期間、万年筆を好きでいると考えると素人感は薄れる。ただし、ここでも実質時間説と経過時間説とに分けて考える必要がある。実質時間は実際に万年筆に接した時間の合計を基準とする。たとえば、1日1時間万年筆と接して1年が経過した場合、実質時間は1×365=365(時間)となる。同じ1年間でも、1日2時間接した人はその倍になる。これが実質時間説である。一方、経過時間説は初めて万年筆に接した日から数えてどれだけの時間が経過したかが基準となるので、同じ日に初めて万年筆に接した人は、万年筆に接する実質時間の差にかかわらず経歴が同じになる。つまり、2014年1月1日に初めて万年筆に接し、それから1日1時間継続して接したAさんは、同じ日に初めて万年筆に接し、それから1日2時間継続して接したBさんと経歴が同じということになる。世間では万年筆歴何年というと経過時間説がとられるが、実質時間説のほうが客観性は高い。

【仮説3】費用説

万年筆に費やした費用の合計が低いほど初心者であり、逆に高いほど初心者でないとする説。「万年筆に費やした費用」の内容は、購入費用のほか、調整・修理費用も含む。この説をとると、1万円の万年筆を10本買った人と、5万円の万年筆を2本買った人は同じレベルになる。この説の問題点は、時間が経過するほど費用合計の算出が難しくなること。また、所得の差によって費やせる金額の限度が異なることも挙げられる。

【仮説4】造詣説

万年筆についての知識が浅い人ほど初心者であり、逆に深い人ほど初心者でないとする説。各万年筆の使い方、特徴、歴史のほか、インクの成分と機能などの知識を含む。この説の問題点は統一的な試験の方法がないこと。

【仮説5】技能説

万年筆についての技能が低いほど初心者であり、逆に高い人ほど初心者でないとする説。万年筆についての技能とは、筆記・手入れ・管理における習熟度をいう。これも統一的な試験の方法がない。

以上から、5つの説を考えてみた結果、どの説も単独では初心者判定の基準として不十分であると言わざるを得ないと考える。たぶん我々は無意識にこれらの説を選択複合的に使用し、初心者判定を行っている。つまり、「所有本数は3本で(本数説)、万年筆歴は1年(時間説)、今まで2万円を費やし(価格説)、知識はあまりなく(造詣説)、あまり使いこなせていない(技能説)ことから、私はまだ初心者である」というような判断をしているに違いないのだ。

そしてまた、「他人からどう思われているか」と「自分ではどう思っているか」を照合し、両者に大きく差があるときは適当なところで折り合いをつける。つまり、自分ではまったくの初心者だと思っているのに、他人からはかなり熟達した愛好家だと思われていることがわかった場合は、自分の認識を少し改めてややマニア寄りの位置に自分を置き直すのである。そのような自己像の修正を繰り返すうちに、いつの間にか初心者ではなくなっている。したがって、結論はこうだ。初心者判定に絶対的な基準などなく、比較対象としての他者を抜きにして物事の習熟度を測ることはできない。

結局はどの基準も単独では無意味だし、他人との比較を経て自己了解的に判断するものだから、これ以上初心者判定の基準について考えるのはやめようと思う。だって、俺が「自分は初心者です」なんて言ったら、たぶんいろんな人が「嘘つけ」とつっこんでくるはずだから……w