黒猫陛下の書斎

「試筆」とは、試し書きのことではない。

バーチカル式手帳を使い始めて2ヶ月

恋人の勧めで、2013年度はハイタイド(HIGHTIDE)というブランドのスケジュール帳を使用している。月間カレンダー・週間カレンダー(バーチカル方式)、フリースペース、地図などを備え、それ以外特に目立った機能もないが、俺には必要十分な手帳である。

サイズは文庫本と同じA6。透明のビニールカバーが付いていて、これに栞としての機能がある。装丁のデザインはツバメノートに似ていて、海外製品なのに妙に親しみやすい。紙質は思いの外高く、日本製にも引けを取らないレベル。最近はコーヒーショップや自宅でこれを開いて、万年筆でちまちま書き込むのが楽しい。思えばこれ以外に万年筆を使う(というより、字を書く)機会もなくなってきた。やばい。
 
 
 

一元化モレスキンの作り方

いかにもスケジュール帳を使いこなしているかのように見えて、この俺がスケジュール帳を使うこと自体、かなり珍しい。これまでの数年間、(市販の)スケジュール帳は一切使わなかった。というよりは、モレスキン1冊で何でもこなしてきたと言ったほうがいいだろう。スケジュール管理のほか、メモや落書き、ときにはスクラップの貼り付けまで、モレスキンで間に合っていた。スケジュール管理に関しては、オリジナルの手法でマンスリー・ウィークリー・デイリーの“すべて”を盛り込むことができ、少なくとも当時は間違いなく理想の手帳だった。せっかくなので、どんなやり方だったのか、簡単に紹介しておく。

マンスリーは見開きで1ヶ月の予定が見渡せるようにするため、左のページに月曜から木曜、右のページに金曜から日曜までのマスを作る。もちろん手書きである。マス1個のサイズは、縦25mm(方眼5個分)、横25mm(同じ)がちょうどいい。一番上に、「月」から「日」までを書くためのスペースを空けておくのを忘れないこと。これだけなので、10分もあればできる。マンスリーはこれで終わり。

ウィークリーはもっと簡単で、1ページを横に7等分して、日付と曜日を書くだけ。

デイリーはさらに簡単で、ページの左上(または右上)に日付と曜日を書くだけ。

肝心なのは、これらをどのようにして使うかだ。具体的に説明しよう。今日が1月1日の月曜日だとする。1月の月間カレンダーの直後に、1週目の週間カレンダーがくる。その後に、1月1日のページがくる。次は2日のページ。その次は3日のページ。4日、5日……と続いて、7日が終わったら、2週目の週間カレンダーを挟んで、8日のページがくる。2週目は8日から14日までなので、14日が終わったら、3週目の週間カレンダーを挟んで、15日のページがくる。そして1月31日が終わったら、2月の月間カレンダーがくる。月間カレンダーの後は、同様に、1週目の週間カレンダーがきて、2月1日のページ、2日のページ……と続く。

この使い方のメリットは、なんと言っても紙幅に制限がないこと。すなわち、このページは何月何日のページ、と決まっているわけではないので、使いたいだけ使うことができる。たとえ5ページ使おうが10ページ使おうが、次の日のページが浸食されてなくなるということがない。先述の通り、わがモレスキンはスケジュール帳とメモ帳とスクラップブックを兼務していた。そのため、すべての情報が一度はそこに集積する。当然、「1日1ページ」では到底間に合わなかった。「ほぼ日手帳は1日1ページ“しか”ない」が俺の口癖だった。

もっとも、今となってはモレスキンを使っていないので、もうこのやり方は通用しない。今はメモパッドを挟んだトラベラーズノートと、ハイタイドのスケジュール帳の二刀流でがんばっている。
 
 
 

分析に役立つバーチカル式手帳

ところで、しばらく使ってみるうちにバーチカル方式は生活習慣の振り返りに役立つことがわかった。というのも、バーチカル方式は時間の目盛りが縦に振られている。そのため、週間カレンダーをバーチカル方式で表示すると、同じ時間帯における一週間分のスケジュールが横にずらーっと見渡せるのだ。俺は週間カレンダーに予定でなく行動記録を記している。たとえば起床時刻や就寝時刻などを、(当然だが)事後に記しているのだ。きちんと横並びになっているときは、毎日同じ時間帯にそれを遂行しているということであり、習慣として定着しているといってよい。しかし、日によって上に行ったり下に行ったりするときは、生活リズムの乱れの原因となるものを見つけだすヒントが、そこに隠れているかもしれない。
 
 
 

「きれいな手帳づくり」は毒

いま書いていて思い出したことだが、『日経アソシエ』12年8月号の「時短術」特集はとてもよかった。今でも捨てずに取ってある。時短術とは、まさにライフハックそのものだ。当然、スケジュール管理とも深い関係がある。この特集の中で、特に印象に残っていることがある。それは、紙面を小さな字で埋め尽くして達成感を得ることが、スケジュール帳の本来の使い方ではない、という格言めいたものだ。これは正直、目から鱗が落ちた。スケジュール帳は「きれいに作る日記帳」ではない。予定がびっしりと書き込まれた手帳を見ると、なんとなく「すごい!」と思ってしまうが、必ずしもそれが理想とは限らないのだ。「やらなければならないこと」は少ないほどよい。もう無理してスケジュール帳を埋めようとする必要はない。もう無理して空白を埋めるためのスケジュールを作る必要はない。もう無理して自分のスケジュールをスケジュール帳に合わせる必要はない。空白があってもそれでいい。むしろあるほうがいい。スケジュール帳の本質的な役割は、スケジュールに空白を作ることなのだ。できるだけ多くの空白を作って、そこに自分の最も大切な作業を充てる。それこそがスケジュール管理の最終目標なのだ。俺はこの考えに心を動かした。なんと多くの人が、「きれいな日記帳づくり」に失敗し、スケジュール管理を放棄してしまったことだろう。なんと多くの人が、「分刻みの美しいスケジュール」を志向し、自ら破滅の道を行くことだろう。そのような使い方はむしろ毒だ。やめたほうがいい。

俺のハイタイドの手帳は、空白だらけだ。それは俺の日常があまり多忙でないというのもあるが、みっちり埋めようと思えば埋められる。でもそうはしない。俺はスケジュール帳の空白を埋めるために生きているのではないから。週間カレンダーに関しては、起床、食事、労働、入浴、就床、外出などを記録している。あとはその日のうちで最も印象的な出来事やニュースなどを書いている。さらに詳しいことになるとすべて日記に書いてあるので、スケジュール帳を完璧に仕上げる必要はない。

結局のところ何が言いたいのかというと、手帳の使い方なんかどうだっていいけど、手帳を使いこなそうとして逆に支配されるような生き方だけはしたくないということ。手帳は楽しいものだ。楽しい内容を書き込みたいし、楽しいことのために使いたい。そして楽しんで使いたい。

ハイタイドの手帳のビニールカバーの内側に、自分が撮った写真を入れた。2人で行った神戸の北野異人館。ファッキン・クールなイングリッシュ・パブ。あそこはまた行きたい。