黒猫陛下の書斎

「試筆」とは、試し書きのことではない。

カードケース新調でまさかの出来事

ある土曜の午後、カードケースを新調するため、ヘルツを訪った。いつものように、重々しい鉄の扉の開いた入口から一歩踏み入れた瞬間、木と革の匂いがしてきた。歯医者の匂いを嗅けば「ああ、歯医者に来たな」という感じがするのと同じように、この木と革の匂いを嗅ぐと「ああ、ヘルツに来たな」という実感が湧いてくる。店舗の中央には白い螺旋階段が目立ち、階上には大きめの鞄が多種多様に置いてあるが、今回はそこに用事を作ってはいけないので足を踏み入れず、1階右奥の小物のコーナーへと直行した。

 

 
パスケースや財布、ペンスタンド、ブックカバー、ノートカバー、手帳カバー、筆箱、マウスパッド、キーホルダーなど――つい目に入ってしまう小物類に道草を食いながら、カードケースらしいものを順番に吟味した。今回、新しいカードケースに求めた条件は、①開け閉めが簡単であること、②見た目が好みであること、③スーツの内ポケットに自然に収まりながら、カード収容枚数が10枚以上であること、の3つである。この3つは最低でもクリアしなければならない。価格や納期は、この際どうでもよかった。ネットである程度の下見はしてきたつもりだが、この店の商品は、実物を見ると全く違う印象を受けることが珍しくない。革の厚みや柔らかさ、サイズ、手に持った感じなどは、実際に見てみないことには正確にわからないものだ。今回もやはり、予め目星をつけてきた商品はイメージと違った。万年筆もそうだが、写真だけで判断するのは危険なのである。
 
最後まで候補に残ったのはシンプルな作りのポケットマルチケース〈GS-32〉と、やや凝ったギミックのドキュメントカードケース〈GS-30〉の2品。ポケットマルチケースはL字ファスナー付きで、中が3つの部屋に仕切られている。構造は至ってシンプルで、特に変わったところはない。一方、ドキュメントカードケースの方はボタンを外して開けると、コンパクトに畳まれていた蛇腹折りのマチが広がって、3つの部屋が扇形に飛び出してくる。インパクトがあり、かつ機能的な作りであった。どちらもOrgan(オルガン)という比較的柔らかく、しっとりとした手触りの革を使っている点では共通しているが、共通しているのは革の素材くらいのもので、見た目や開き方はかなり対照的ともいえるような2品である。

 

 
見た目的にはどちらも良かったので悩ましかったが、先程の条件でいうと①開け閉めが簡単であること、③「スーツの内ポケットに自然に収ま」ること、の2つで、L字ファスナーのシンプルなポケットマルチケースにやや優位なところがあり、それが購入の決め手となった。
 

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そういうわけで、L字ファスナー付きのポケットマルチケースを購入した。迷ったとき、俺はいつも正解を選ぶ。革だけでは野暮ったい印象も与えがちだが、凛とした金属感が全体を引き締めるアクセントになる。やっぱりファスナーがあった方が見た目的に好きだと思った。
 

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Organの革は比較的育ちやすく、すでに革の切り口あたりから少しずつ黒ずんできている。ファスナーをぬるぬると下ろすと、思いの外ガバッと開き、中がよく見える。部屋が3つに分かれているので、カードをジャンルで分けて入れるとわかりやすい。今は右の部屋に定期券と名刺、真ん中の部屋に鍵、左の部屋にクレジットカードとポイントカードとキャッシュカードを入れている。工夫としては、IC定期券を一番外側に入れておくこと。ケースからいちいち取り出さなくても、ケースごと改札タッチで通れる。
 

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さて、実は今回、びっくりするようなことがあった。カードケースを選んでいた時のことだ。店員の方に話しかけられたかと思うと、自分の名前が呼ばれたので驚いた。なぜ名を知っているのか?と訝りながら見ると、その手には1枚のはがきがあり、それは紛れもなく1年ほど前に俺が送ったものだった。
 
実は以前、この店に来たとき、世話になった人がいたのである。その日、探していたのはジョッターだった。ジョッターとはせいぜいスマホ大の板のようなもので、その上に紙をセットして、小さなクリップボードとして使う。いつでもどこでもさっとメモを取るには便利なアイテムなのだ。前々からジョッターは気になっていたのだが、デザイン的に好きなものが見つからなかったので、何年も買わずにいた。そこに突然、ヘルツのある店舗のブログで、ジョッターの試作品の写真を見つける。これだと思った。なんとか入手できないかと思い、最寄りの店舗に駆け込んだのだ。ところが、見つけたブログの記事はけっこう古いもので、現物がまだあるかはわからないとのこと。定番品ではないので、新たに発注することはできない。現物がなければ入手は難しいと言われた。半ば諦めながら当の店舗に問い合わせてもらうと、自分が欲しい色が1個、残っているとのことだった。即刻押さえてもらったのは言うまでもない。そのときの偶然性と、その店員の方の、自分のことのように喜んでくれた態度に心を動かされ、後日礼のはがきを認めたのであった。ちなみに、写真で電卓の下に写っているのが入手したジョッターである。
 
感心したのは、その方がはがきを大事に持っていたことと、1年のブランクがあるにもかかわらず、その送り主の顔と名前を一致させたことである。まさに天性のセンスだと思った。曰く、今まで客からはがきを貰ったことがなく、感激して机の上に飾っていたのだという。そして次に来店されたら、必ず礼を言おう、と思っていたらしい。さすがに2通目の礼状は送らないことにしたが、「神対応」とはこのことかと思った。いい店にはいい商品があって、いい店員がいる。来年も何か一つ買えたらいいなあと思う。

 

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