黒猫陛下の書斎

「試筆」とは、試し書きのことではない。

ユンハンスという腕時計の正解のひとつについて

買い物ラッシュである。傘に始まり、靴、スーツ、鞄と一生モノを手に入れることに目覚めてしまったが最後、金額は徐々に、着実に、しかも二次関数的に増加の一途を辿り、とうとう6月下旬には新たなステップとして、はるかに予算オーバーの腕時計を買うに至った。この無計画性と無謀さは生まれ持った病のようなもので、一生治らないであろうことは予感している。だから反省はしているが、後悔はない。持つべくして持ったモノなのだと言い聞かせている。

 

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今回手に入れたのは、1861年に設立された、途方もない歴史を持つドイツの時計メーカー、ユンハンス(JUNGHANS)の腕時計。ひと目でわかる人にはわかるが、バウハウスの血を引く近代的なデザインをポリシーとしている。なかでも「マックス・ビル」シリーズは最も人気があり、俺が手に入れたのは、このシリーズの最新作である。

 

いきなりこう言うのも何だが、正直言うと、マックス・ビルは最初は欲しい時計ナンバー1ではなかった。今でも一番痺れるのはミリタリーウォッチであり、何年も前から、ハミルトンの「カーキ・パイオニア」だとか、オリスの「スイス・ハンター・チーム リミテット・エディション」、ツェッペリンの「7680」といった時計は好みど真ん中である。特にミリタリーウォッチの要件であるコインベゼル(縁が100円玉のようにギザギザになっていること)とコブラ針(インドコブラのような形をした針)は歯噛みするほど憧れる。ただ、周知の通り、ミリタリーウォッチというのは非常に男性的なアイテムであり、厚み・大きさ・重さともに腕時計の中でもトップクラスにゴツい。ナナフシのように細い腕にそれを着けることがいかにダサいかという確信的な認識が、理性をフル回転させた。そのおかげで、今のところ失敗はしていない。理性が働かなければとっくに買っていただろう。

 

そのような反省を踏まえて言えば、時計に限らず、ズボンやジャケット、靴、帽子など、身に付けるものは何だってサイジングが命だと思う。たとえみんなが認める高級品であっても、サイズの合わないものは見栄えが悪い。まさにそういうのを「身の丈に合わない」というのではないか。反面、安物でも、サイズさえきちんと合っていればそれなりに良く見えるものだ。その意味で、デザイン第一主義で時計を買うのは誤りであると結論されよう。万年筆も重量バランスを無視して、デザインだけで買ってしまうと、必ず後悔することになる。時計にしても、まずは自分の腕に合うサイズを知ることだ。その上で、デザインの最も良いものを選ぶと失敗しない。しかしながら、俺のように「細い」を通り越して「ひょろい」までいくと、腕時計選びが非常に困難になってくる。それはもちろん、サイズの制約が大きすぎて、選択可能なデザインの幅が極端に狭くなるという意味においてである。

 

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故に、この制約を超えてくる理想的な時計を見つけるのは至難の業ともいえるが、そのような時計がこれまで奇跡的にひとつだけあった。それがズッカの「アイスサーベル ヘビメタ」(写真右)である。大学に入る前、雑誌で見かけて一目惚れした時計で、上品ながらパンクなデザインと、究極に小さなサイズを兼ね備えたすばらしい製品であったが、すでに廃番になっている。文字盤よりもバンドがメインのような時計で、時計と言わなければブレスレットと見間違えられることも何度かあった。7年近く使っているが、たった一度電池交換したのみで、それ以外、何の故障もなく使えている。ユンハンスを手にしてからは休ませているが、まだまだ使えるし、大事な時計なので、気分によって使い分けるつもりである。こういう時計をスーツに合わせるのが俺は嫌いではない。

 

およそ7年ぶりの新しい時計は、電池駆動ではなく、自動巻きである。手巻きのモデルもあったのだが、絶対に後から面倒臭くなるだろうと思ったので、自動巻きにした。自動巻きといっても、完全に自動で巻き上がるわけではなく、多少は手で巻いてやる必要がある。そのことは、買った後で知った。特にオフィスワークであまり腕を振らない場合は十分に巻き上がらないようだ。竜頭(りゅうず)を指の腹で摘むとけっこう痛いので、爪の先で挟んで回している。もっと大きく作れば回しやすいのだが、こんなに小さく作ってあるのは、どうやら文字盤を最大限大きく見せようという錯視効果を狙ってのことらしい。ぼーっと考え事などをしながら時計を巻き上げる時間は贅沢だ。言うまでもなく、万年筆のインクを吸入する時間と同質である。

 

神経質な性格の人には耐えられまいと思うが、機械式の時計を使う以上、多少の時間のズレは避けて通れない。マックス・ビルも一日に数秒遅れる。俺も初めはとても気になったのだが、2週間も経てば気にならなくなった。週に一度、思い出したときに時刻を合わせている。

 

話は飛ぶが、定時法・不定時法という概念がある。定時法では、時計が示す客観的な時間を基準とするのに対し、不定時法では、我々の生活を基準として時間を決める。つまり、定時法は常に一定の速度で時間が流れるが、不定時法は時間の流れがその時によって変わるのである。江戸時代の人々は不定時法で生活していたといわれる。日の出から日没までを昼、その反対を夜とし、それぞれを6等分し、その1つを「一刻」と呼んだ。当然、夏は昼が長くなるし、冬は夜が長くなる。時間を普遍的・客観的なものとしか考えたことのなかった俺にとって、この話はまさにコペルニクス的転回を起こしそうなほどの衝撃を受けた。

 

この話は時計がズレる話と何ら関係がないのだが、俺にとっては時間のズレを大らかな心で受け入れるきっかけになった。そう、「絶対的な」時刻など存在しないのである。どうしても他人と同じ時刻が必要になったら、そのときはiPhoneで確認すればいい。俺はマックス・ビルで、俺の時間を過ごす。

 

とはいえ、秒針が要らないとは一言も言っていない。俺は滑らかに動くこの秒針が好きでたまらない。耳を澄ませば針の動く音が聞こえる。超小刻みにチッチッチッチッ……という音。ある外国人がこれを「Sweeping」と見事に表現しているが、ジョージ・ハリスンの名曲「While My Guitar Gently Sweeps」を彷彿とさせる。と、ここで「それはSweepsではなく、Weepsだろ」というツッコミが入るだろう。これがその外国人のビデオだ。後半は特にチッチッチッチッ……という音がよく聞こえる。今日の機械式時計の標準ともいえる、毎秒8振動(=毎時28,800振動)の心地よいビート。

 

 

今回俺が買ったモデルはケース径が38mmあるので、本当ならばこの時計はサイズで対象外になるはずだった。ナナフシ腕の場合、ケース径は36mmぐらいが限度とみている。ミリタリーウォッチでは標準的な42mm以上など、論外だ。今回38mmで手を打ったのは、ケース厚が10.7mmという薄さだったことに加え、45gと軽量だったことで、さほどオーバーサイズを感じさせなかったという点が大きい。

 

ドーム型のカバーガラス。これも俺の好みど真ん中である。縁の丸みに光が当たって反射する様も美しい。マックス・ビルで一番気に入っているのは秒針の動きと、このドーム型のカバーガラスだ。視認性は抜群で、黒い文字盤に銀の数字と目盛が映える。お札のミクロ文字レベルの小ささで「MADE IN GERMANY」と刻印されているのには感動した。背面にはデザイナー、マックス・ビルのサインが入っている。

 

ベルトはカーフ。カーフとは生後6ヶ月までの仔牛の革のことをいう。ナガサワのペンケースは生後6ヶ月以降のキップという革を使っているが、良し悪しは別として、明らかな違いがある。カーフは非常に柔らかく、肌触りも良い。肌理が細かく、適度な光沢がある。箱から出した時は、良い革の香りがした。穴は一番小さいところでも俺の腕には合わなかったので、購入店で穴を開けてもらった。数年後に別のベルトに変えるのもまた良しと考えている。ズッカのサーベルがワンタッチ観音開き式のベルトだったので、すっかりこの形に慣れてしまった。マックス・ビルはごく普通の形で、装着が若干面倒臭いときがある。でも金属から革になったことで、時計を着けたままストレスなくデスクワークができるようになったことは大きい。金属は机に触れるとガチャガチャと音がするし、毎日そんなことをしていると傷だらけになってしまうので、たいてい机に向かうときは外していた。今は着けたまま作業ができる。

 

生活防水だが、公式には防水が謳われていない。どうやら「この程度では防水と呼べない」ということらしい。ユンハンスの職人っぽい気難しさと真面目さを感じる一面である。

 

というわけで、満足のいく時計を手に入れ、ますます仕事に精が出るようになった。嫌でも働かないと破産してしまう。