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黒猫陛下の書斎

「試筆」とは、試し書きのことではない。

5分で読める古典インクのすすめ(その2)

文具

 

 

“万年筆ブームが来ている”という実感は、だんだん強くなってきた。俺がはじめて万年筆を買った2011年(わずか3年前)と比べても、店舗の品揃えも、メディアでの取り上げられ方も明らかに違う。なぜ今頃になって、万年筆が注目を浴びるようになったのか。それには主として、大きな要因が2つあるのではないかと思う。1つはYouTubeで約400万回も再生されている“あの動画”が、これまで万年筆(ひいては筆記具)に興味がなかった人の固定概念を打ち砕いたこと。もう1つは廉価万年筆とインクのラインナップが徐々に充実してきて、若い年代に受け入れられるようになったこと。もちろんこれだけではないが、この2つは非常に大きい。冷静になって考えると、耐水性・携行性・価格・入手のしやすさ・手入れが不要であることなど、いろんな面でボールペンのほうが道具として優れているのだが、それでもわざわざ万年筆を好んで使う物好きな人たちがいるということは事実だ。そういう、冷静な判断ができなくなってしまった奇異な人たちを、俺はむしろ歓迎したい。非合理なもの、非効率なものにお金をかけることは、どうしてこんなに楽しいんだろう! 合理性や効率なんかクソ食らえだ。楽しいと感じることがすべてだ。

 

あの動画


Custom Namiki Falcon Resin Fountain Pen HD - YouTube

 

さて、もちろん俺も「つい先日」万年筆を使い始めた若い世代に含まれるのだが、寂しいことに、なかなか古典インクを使っている人を見かけない。色彩雫の「月夜」がシリーズで一番売れていると聞く限り、ブルーブラック系が不人気なわけではなさそうだ。インクは誰もが最初に色で選び、同系色のインクが複数あると、価格やデザイン、ネーミング、メーカーなどで差をつけて判断する。そのときに古典インクが候補から外されてしまうことが多いのは、箱やボトルのデザインがお洒落でないことや、成分上の違いがあることが認知されていないことなどが理由ではないかと思う。

 

正直、デザインやブランディングで現在の古典インクがパイロットの色彩雫やナガサワの神戸インク物語に勝つのは不可能に近い(笑)。色の種類も豊富だし、地域や季節と結びつけたインクはすごく親しみがあって、美しい。それはよくわかる。それでも俺が専ら古典インクを使うのは、色彩雫や神戸インクに耐水性がないことを知っているからだ。それを知らなければ、同系色の中で地味でダサい古典インクは、真っ先に選択肢から除外されてしまうだろう。

 

だから、古典インクがその他のインクと戦うときに使える武器は、耐水性その一点なのだ。それ以外に古典インクが染料インクと戦って勝てる点はない。古典インクにしかない色があるって? そんなものはインク工房でいくらでも作れるので話にならない。しかしながら、耐水性がない染料インクを除外すれば、古典インクを色で選ぶ可能性も出てくる。そう、まさにこの点が大事だ。膨大な種類のインクの中から古典インクが選ばれる可能性は、「耐水性のあるブルーブラック」を選ぼうとしたときに出てくる(*1)。耐水性を必要としない場合は、古典インクなんか使う意味がないのだ。

 

「(1)耐水性のある(2)ブルーブラック」。これが古典を選ぶ価値のある人に必要な条件だ。耐水性があるだけではいけない。耐水性があって、ブルーブラックではないといけない。ただ耐水性があるだけのインクは、古典以外にもあるからだ。1つは顔料インク。セーラーは非常に粒子の細かいナノインクを開発した。詰まると厄介な顔料インクのリスクを小さくしたヒット商品だ。「極黒(きわぐろ)」や「青墨(せいぼく)」がそれに当たる。他にはプラチナが顔料インクのメーカーとして有名である。これらは古典インクよりも高い耐水性を発揮する。絶対に水に溶けない。耐水性のある青や黒のインクなら間違いなくこれらがおすすめだ。ただし、ブルーブラックになると、顔料インクではいけない。だから「(1)耐水性のある(2)ブルーブラック」なのだ。

 

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もう1つ、耐水性のあるインクがある。パイロットの地味なボトルのインクだ。このデザインのインクは絵の具のにおいがするので、勝手に「絵の具インク」と呼んでいる。絵の具インクは染料であるにもかかわらず異常に高い耐水性を示し、なおかつ値段もずば抜けて庶民的である。しかもラインナップにきちんとブルーブラックがあり、古典インク側としては完全に万事休すの事態なのだ。ところがこのブルーブラックは「ブルー」と呼んでも差し支えないほど明るい色であり、もう少し暗いブルーブラックを望む人には非常に惜しい。このブルーブラックがもう少し黒寄りだったら、古典インクの存在意義はかなり希薄になるだろう。パイロットにはもっと黒寄りのブルーブラックを、この絵の具インクで作ってほしい。

 

まとめると、

・耐水性を必要とすること
・ブルーブラックが好きなこと
・パイロットのブルーブラックでは満足がいかないこと

これらの条件をすべてクリアしてきた人だけが、古典インクに向いているといえる。道理でユーザーが少ないわけだ。実に面倒くさい。

 

ではいま手に入るインクの中で、どれが古典インクなのか。今一度リストアップしてみる。

ペリカン ブルーブラック
・プラチナ ブルーブラック
・ラミー ブルーブラック(古典ではない!)
モンブラン ミッドナイトブルー(古典ではない!)
・ローラー&クライナー サリックス
・ローラー&クライナー スカビオサ
・ダイアミン レジスターズインク
・英雄(中国メーカー)ブルーブラック

やっぱり古典インクは、染料インクに比べて数も種類も少ない。この中で手に入れやすいのは、ペリカンとプラチナぐらいだろうか。もちろん通販を利用すれば、ローラー&クライナー、ダイアミン、英雄も手に入る。注意しなければならないのは、ラミーとモンブランが古典インクではないこと。廃液規制の関係でやめたという話も聞いたが、真相は知らない。ラミーもミッドナイトブルーも熱心なファンは一定数いたと思うので、この2社が古典でなくなってしまったときは、ただでさえ貴重な古典インクユーザーがこれで宙に浮いたと思った。愛用のインクを失って行き先を失った人を俺は「インク難民」と呼んでいる。古典インク難民の中には、俺のように他社の古典インクに乗り換えた人もいれば、染料インクや顔料インクに乗り換えた人もいる。あるいはボールペンに移った人もいるかもしれない。供給と需要が相互作用的に小さくなり続ければ、いずれはペリカンやプラチナも古典インクをやめてしまうことになる。そうなる前に、古典インクのユーザーを増やしておかなければならないのだ。だから、万年筆ブームが来たまさに今がチャンスなのだ。

 

論より証拠。改めて古典インクを使いたくなるような画像を見せるしかない。俺は以前、染料インクで書いた宛名が雨に濡れて読めなくなり、郵便物が相手方に届かないという事故に遭った。これが古典インクを頼るようになった最大のきっかけである。古典インクは水に濡れても大丈夫なので、宛名書きにも使える。飲み物をうっかりこぼしてしまっても、汗ばんだ手でこすっても、消えないのが古典インクだ。古典インクがなかったら、耐水性を優先して好みでない色のインクを使うか、または宛名だけでもボールペンを使うしかない。それを辛うじてしなくて済んでいるのは、古典インクがあるおかげなのだ。

 

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図1は古典インクと染料インク、ともに書いて間もない状態でどの程度水に強いかを実験した結果を表している。上がペリカンのブルーブラック、下がナガサワ(セーラー)の神戸インク「六甲グリーン」である。紙はモレスキンを使用した。乾いてすぐの状態で、指を濡らして5秒ほど擦ると、ほとんど水に流れていないペリカンのブルーブラックに対して、神戸インクのほうは、指で擦った跡がはっきりと現れている。

 

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図2には約3ヶ月前にペリカンのブルーブラックで書いた字で実験した結果を表している。「聖性」と「境界論」のところを指で擦ったのだが、ほとんどわからない。時間の経過とともに化学反応が進み、耐水性が強化されたものと考えられる。

 

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前回の古典インクの記事でも書いた通り、ボールペンのインクには水性インクと油性インクがあるが、万年筆に油性インクはない。万年筆は水性インクのみだ。図3のように、水性インクは顔料インクと染料インクに分けられ、さらに染料インクは一般的な染料インクと特殊な染料インク(古典インク)に分けられる。古典インクの特殊性は、インクの発色に化学反応を用いている点にある。化学の知識のない俺が同じく化学の知識のない人たちにわかりやすく説明するならば、インクに含まれる鉄(II)イオンという成分が空気中の酸素と結合し、鉄(III)イオンという成分に変わるとき、インクが黒く変色してくるのである。初めは無色透明のインクが、書いてしばらくするとだんだん黒くなってくる。これが本来の古典インク(別名・没食子インク)の姿だ。しかし時間が経って黒く変色してくるまでは透明だ。これでは不便なので、仮の色(青)をつけて、目に見えるようにしておこう。そうして生まれたのが現在の古典インクである。初めは青い色をしているが、だんだん色が黒っぽくなってくるタイプのインクはこれだ。書いてすぐ水に濡らすと、仮の色である青の染料が水に溶けるため、一見耐水性が低いように見えるが、そうではない。

 

このタイプのインクは本来の古典インクよりも酸性度が低いので、比較的万年筆にも紙にもやさしい。古典インクは万年筆を傷めるので危険などとよく言われるが、3年間古典インクを使い続けてきて、詰まったことも、ペン先がだめになったこともない。pHが調整されていない、はるか昔の古典インクでも使わない限りは、普通のインクと同じように使って問題ないと思う。万が一の場合にも、アスコルビン酸(ビタミンC)が古典インクの汚れを落とすのに有効だ。必要以上に古典インクをおそれることはない。むしろ今では顔料のほうが詰まりのリスクが高い。

 

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図4は、自分に古典インクが向いているかどうかを確かめるためのチャートだ。ほとんどの人が「耐水性はなくてはならない」で「No」と答えて染料インクに突進していくと思う。そんな中、めでたく古典インクに辿り着く人はほんの一握りの貴重な存在といえる。ぜひそのまま古典インクを使い続けてほしい。まだの人は一刻も早く使い始めるべきだ。なお、「不明」に辿り着いた人は、どこかで妥協しなくてはならない。耐水性さえ諦めればどんな色でも使えるが、耐水性を絶対の条件と考えるなら、色が限られてくる。

 

古典インクなんて今どき使う意味がないという人もいる。俺はそうは思わない。耐水性のあるブルーブラックで、パイロットの絵の具ブルーブラックよりも黒寄りの色、さらにあの独特の枯れた風情を持つものはあるだろうか。もしあったら俺は喜んで古典インクを“卒業”しよう。

 

 

 

インクの数秒間だけキラキラ輝く様は、見ていてとても気持ちがいい。万年筆で書く動画は、もっと流行ればいいのにと思っている。かっこいいカリグラフィーの動画もいいけど、ごく普通に字を書いているだけでも、ほっとして、いいものだ。炎を見つめるのと、どこか似ている気もする。

 

*1 古典インクは基本的にブルーブラック一色だが、例外として、ローラー&クライナーの「スカビオサ」が挙げられる。このインクは紫色をしているが、古典インクであり、耐水性がある。