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黒猫陛下の書斎

「試筆」とは、試し書きのことではない。

ミイラは生き返る

俺にとって数少ない舶来の万年筆であり初めての金ペンでもあるスーベレーンは、もうかなり長い間隠居生活を送っていた。プロギアを買ってから出番が少なくなっていくスーベレーン。カスタム74を使い始めてからはとうとうインクが抜かれ、ミイラ状態だった。

 

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そのミイラが生き返ったのはつい先日。思いつきでインクを入れてみた。ただし、今度はいつもの古典インクではなく、滅多に使わない染料インクである。ずっと古典インクばかり使ってきたので、色を合わせようと思うと万年筆のほうを選ばなければならなかったのだが、それがいつの間にか緑とボルドーと茶のインクが増え、少しはインクを選ぶ余裕ができた。もちろんこれらの染料インクはすべて人からもらったもので、自分で買ったものではない。今になって染料インクに気を許したというわけではないが、少なくとも古典インクが早いペースでなくなっていく陰で、染料インクは増え続けていくという事実があった。

 

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ふと、休めている万年筆を叩き起こしてみたくなるときがある。たまに違うのを使ってみるのも悪くない。自分に合った万年筆をもう一度確認する重要な機会にもなるだろう。誰でも気がつかないうちに持ち方や書き方の癖が変化していることがあるが、その都度、適切な万年筆も変化していると考えてよい。

 

使わなくなった万年筆はインクを抜いておけば何年でも眠らせておくことができる。しかし、残念なことにインクのほうはそうではない。インクには一応の消費期限があり、たとえ未使用でもできるだけ早く使い切るのが望ましい。諸説あるが、遅くとも3年以内には使い切るのがいいのではないかと思う。それ以上経過すると質的な変化が起きたり、カビが生えたりすることもあっても文句は言えない。もっとも、環境が悪ければ3年以内でもダメになるだろう。悪い環境とはすなわち、高温多湿のことであり、冷暗所で保管するのが理想とのこと(*2)。

 

とにかく、そういうわけで初めてスーベレーンに染料インクが入った。久しぶりに吸入してみて、やっぱりピストン式はギミックのかっこよさが違う。コンバーターではなく、万年筆本体内部に直接インクが蓄えられるあの感じ。コンバーターやカートリッジを必要としないで、それ自体で成り立つオールインワンのかっこよさ。この機能美はたまらない。尻軸を回すときのちょっと重たいあの感覚も好きだ。

 

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ところで俺がスーベレーンを敬遠しだしたのは、まさに字の太さのためだった。ペン先はEFだが、紙によっては国産のBぐらいの太さになる。俺は字幅表記がいかに当てにならないかをこのペンで学んだ。一口に「細字」や「太字」といっても、人によって「細さ」や「太さ」の基準はまちまちなのだから、当然のことだ。これに関しては、いつか客観的で国際的な基準が設けられなければならないと思う。写真の感度にはISOという客観的で国際的な基準があるのだから、万年筆の字の太さにも同じようなものがあっても不思議ではない。もっとも、そういう個体差(個性)こそ、時代が置いてきぼりにしつつあるアナログのよさでもあり、なくなったらなくなったで寂しい気もする。

 

まあそれはそれとして、改めてスーベレーンを使いだしてまもなく、あることに気がついた。いや、気がついたというよりは、思い出したというほうが正確かもしれない。俺を驚かせたのは全く新しい事実ではなく、ずいぶん前から知っていたあるテクニックである。つまり、万年筆の使い方をちょっと“ひねる”だけで、格段に書きやすくなることに気づいたのだ。

 

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普通、万年筆はハート穴が上を向いた状態を保ちながら筆を動かす。ボールペンのようにどんな向き・どんな角度でも書けるわけではない。その点が万年筆の「扱いにくさ」を印象づけている観はある。しかしいったん適切な持ち方を覚えてしまえば力を入れなくてもインクが出てくるので、慣れれば楽だ。そのため司法試験を受ける人や、文章を書いてごはんを食べている人には万年筆の使用例が少なくない。

 

万年筆ユーザーにとって、ハート穴を上に向けて持つことなどは「常識」である。でも一見「非常識」な使い方を教えてくれたのは、なんと万年筆のプロだった。長原幸夫氏。「万年筆の神様」と呼ばれた長原宣義氏の血を引くセーラー万年筆の職人。全国どころか、世界を飛び回って万年筆の調整をしている。俺がドキドキしながら初めて参加したペンクリニックでサファリの調整をお願いしたのは、この先生だった。先生は書けなくなったサファリを書けるようにするだけでなく、ペン先を裏返してもっと細い字が書けるようにもしてくれた。万年筆の潜在能力を引き出すまさに「裏技」である。

 

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ふとこの技を思い出して、スーベレーンを裏返しで使ってみたら、普通に書くよりずっと書きやすくてびっくりした。それ以来、俺のスーベレーンの「普通」の使い方は、ハート穴が下を向いたものになっている。スーベレーンで国産Fの細さ。信じられない。ハート穴が上を向いた「裏返し」の状態で書けば宛名書きもできる。一時は数段細くなるように調整をお願いすることも検討に入れていたが、それを実現させる必要はなくなった。

 

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イタリアのきれいな棒を除いては、舶来万年筆はバカみたいに太くて当然だと考えていた。これだけ細く書けるなら、しかもこれだけ書きやすくなるなら、もうちょっと使ってあげてもいい。

 

セーラーの月イチ連載企画(*3)で長原先生が『使こうとる人が、その使い方が使いやすくて使こうているものを、「こうせい」「ああせい」とは言えんよ。実際、そん人はそれ以外の部分は大切に使こうとったしな。あれはあれで、一つの万年筆の使い方じゃろ。』とおっしゃっているのを見て、この人はやっぱりすごいと思った。使い方は何でもいいのだ。ペン先がちょっとくらい傷んでもいいのだ。万年筆は目的ではなく、手段なのだから。

 

*1 KDM特別編集「万年筆を買いたい!!」

*2 入門者向け万年筆インクの疑問: 私的電脳小物遊戯

*3 【月イチ連載企画】おしえて!ペンドクター 長原幸夫の万年筆なるほど発見!再発見!(7)