黒猫陛下の書斎

「試筆」とは、試し書きのことではない。

パイロット・カスタム74の書き味に衝撃!

 
 

初めてのモリタ万年筆

先日、『趣味文』にもよく出てくる大阪・北浜の有名店、モリタ万年筆に初めて行ってきた。万年筆が定価より2割ぐらい安く買える上に、修理なども受け付けてくれる。創業1946年とあるから、銀座伊東屋(1904年)や神戸ナガサワ文具センター(1882年)に比べると比較的新しいが、まったく洗練されていない店舗の内装(笑)や値段の漢数字表記などがかえって歴史を感じさせる。大阪の中心地梅田から近いようで少し離れたところにある北浜の、えっ、こんなところに、という場所に小店はひっそりと佇む。売場は決して大きくなく、客が4〜5人入るともう身動きがとれない。入口のドアから一歩前に進めばいきなりレジがあり、その右手にちょっとスペースがある。そこに万年筆が陳列されている。万年筆は一つずつ細いナイロン袋に入れられ、5本ぐらいの単位で箱に入れられている。ざっと、壁のショーケースには舶来万年筆、足下のショーケースには国産万年筆が並べてあった。売場は狭いが品揃えは悪くない。有名どころは全部あった。M600ルビーレッドのような珍しい万年筆が3本もあった。

 
当時、店の人は一人だった。初めての訪問なので、普段何人で店に立っていらっしゃるのかは知らない。じーっと万年筆を眺めているとケースから出して試し書きをさせてくれた。閉店はやや早めの7時。6時ぐらいにお邪魔したのだが、次から次へと客が入ってくるので、一人ですべての人を相手するのは大変そうだった。やってくる人は年齢層がやや高め。20代前半の若い人や、万年筆を初めて触るような人は見なかった。初心者が勇気を出して入りやすい店、ということならナガサワのほうが上手だろう。モリタ万年筆は専らリピーターの客で成り立っているという感じがした。もちろん勝手な想像である。



 
 
 

カスタム74との出会い、それはスランプの始まり

で、その日、モリタ万年筆で買った恋人のパイロット・カスタム74を触らせてもらったときに、とてつもないカルチャー・ショックが起きた。あろうことか、最高峰だと思っていた自分のプロギアや#3776センチュリーより、カスタム74のほうが書きやすい。軸の太さ、重心のバランス、重量、インクフロー……どれを取っても自分の好みや癖にぴったりと一致している。信じられなかった。もちろん、カスタム74を触るのは初めてじゃない。ナガサワをはじめ、ほとんどの万年筆売場にはカスタム74の試し書き用のセットが置いてある。何度もそれで書いたことがあるので、カスタム74のことはそれでわかったつもりでいた。ところがどうだ。ちゃんと椅子に座って書いてみると、まるで違う。たぶん、立って書くときに比べて、余計な力が入らないのだろう。そのおかげで、微妙な違いが指や腕に伝わってくる。カスタム74は、まさに俺が思ったような字が書ける。

王道すぎるカスタム74をなんとなく避けて通っていた観はある。正直、ここまで書きやすいとは思っていなかった。もちろん、今までの万年筆が嫌いになったわけではない。どの万年筆もえらい先生に調整してもらって、とても書きやすくなったし、気に入っている。それにしても、もともとの差というものがある。ペン先は調整できても、軸の重さや重心のバランスは調整できないのだ。そこに圧倒的な差がある。カスタム74は俺にとってベストの万年筆だ。それがようやくわかった。2年もかかってやっとわかった。食わず嫌いの食べ物が意外においしかったときの「もったいない」と思うあの感覚とよく似ている。うれしいけど、それ以上に悔しい。

スピッツがまだパンクバンドを志していたころ、ボーカルの草野マサムネブルーハーツのライブで「人にやさしく」を聴いて衝撃を受け、自信を喪失、しばらく立ち直ることができなかったという。そこに自分の姿を重ねるのはただのかっこつけかもしれないが、自分よりもすごいものを見せつけられた衝撃で心が折れるというイメージは掴んでいただけるだろう。これまで満足して使ってきた万年筆に、100点を付けることができなくなってしまった。これはもうカスタム74を買うことによってしか解決しない問題である。おそらく最後の万年筆になるだろう。

カスタム74を買えば、今ある万年筆は完全に使わなくなってしまうのだろうか。高いお金を出して買った万年筆を、たかが数年(ものによっては数ヶ月)で引き出しの中に入れてしまうのか。それはそれでもったいない気もする。一方で、どうせこれからもインクは1色(ブルーブラック)しか使わないし、「万年筆はあくまで書くための道具である」という信念は変わらないから、最も書き味のよい万年筆1本があれば十分だという思いもある。いずれにせよ、カスタム74を買うと常用の万年筆は4本になり、3本差しのペンケースには収まらない。その場合は1本を戦力から除外するか、新たに1本差しのペンケースを購入してこれだけを持ち歩くようにすると思う。

あー、しかし、あれを買うまで俺のスランプは終わらないのだ。