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黒猫陛下の書斎

「試筆」とは、試し書きのことではない。

ポスクロはギャンブルだ

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文通(手紙)についても書くと決めたので、今回は俺が手紙の世界に入るきっかけとなったポスクロ(Postcrossing)について書いてみた。
 
 
 

ポスクロを始めた時期ときっかけ

ポスクロの存在を俺に教えてくれたのは、当時知り合って間もない大学の後輩だった。なんでも、サイトに登録すれば世界中の人たちと簡単な英語ではがきのやりとりができる。しかも基本料金はかからず、送料も格安。それを聞いたとき、ポスクロをやらない理由はないと思った。

海外に旅行するのは大きな手間と費用がかかるけど、はがきのやりとりなら忙しいスケジュールの合間を縫ってでも続けられるし、お金がなくなったときは中断できる。その手軽さと気軽さが背中を押してくれた。

海外留学の経験が一度もない自分の英語にそれほど自信があったわけではないが、はがきの裏に相手の名前と住所を書けば、メッセージを書くためのスペースはわずか。だから英語の論文を読むときのような緊張感とは無縁だった。

英語を学びたいという理由で始める人もいるだろうが、俺は単に、外国から手紙が届くなんてわくわくするじゃないかという思いでユーザー登録を済ませた。後でも述べるが、海外からの郵便物という非日常が新鮮だったのだ。

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どれほど熱中しているか

俺のポスクロ歴は1年と数ヶ月。長年のファンに比べると赤子同然だが、それでも、大きめの段ボールに隙間なく詰め込んでやっと収まるくらいの量のはがきや封筒が、ただでさえ狭いワンルームをさらに狭くしている。

始めたばかりの頃は毎日のように送っていたが、現在では多くて週に1通程度だ。これは俺がポスクロに飽きたのではなく、別の方法で楽しむようになったから。

ポスクロにはイレギュラーな手法として、ダイレクトスワップというシステムがある。「普通」のやり方でいくと手紙を送るのは一人の相手に対し一度限りだが、ダイレクトスワップになるとやり取りが継続することが多い。それでおよそ10ヶ国の人たちとずっと関係が続いている。実はこれだけでけっこう忙しいのだ。

ポスクロを始めた頃からの文通相手であるブルガリア人とはオンライン(電子メール)・オフライン(手紙)ともに膨大なやりとりをしてきた。他にもロシアの女子大生、ドイツの主婦など、実際に行ったことのない国の人たちともうずいぶん長くつながっている。

また、文通相手のみならず、ポスクロファン同士の交流もある。ツイッターでは多くのポスクロファンが受け取ったはがきや文通相手との話の内容などを #postcrossing_jp のタグを付けてツイートしている。それを見ているだけでも楽しい。
 
 
 

人々がポスクロに熱中する理由

正直なところ、このご時世、文通なんて流行らない。「文通」という響きにはどうも陰気くさい響きがあり、たとえば「鉄道」や「盆栽」に並ぶ堅苦しさを誰もが感じるのではないか。(別に鉄ちゃんや盆栽家に恨みがあるのではなく、世間一般の印象として語っている。)しかし、ポスクロはただの文通ではない。海外から届く。したがってお洒落な文通だ。だから人に自慢できる。また、外国人が相手なので、自分の住所や素性を明かすのも躊躇しなくて済む。その点も安心。

とまあ、ここまでは日本人としての視点だが、海外の人たちを含めた全ポスクロファンがなぜポスクロにはまっているかはまだ説明できていない。

推測すると、こういうことではないかと思う。つまり、行ったこともない、あるいは聞いたことすらない国から、自分宛に郵便物が届くという非日常に、えも言われぬ魅力(言うなればロマン)を感じるからではないかと。

そして、その非日常を日常になし得るものこそ、ポスクロというとてもよくできたシステムだ。受取人がランダムに選ばれ、受取人がIDを登録すると、差出人の元にまた誰かからはがきが届く……。これで需要と供給が一致し、うまく機能する仕組みになっているのだ。

このような無限ループの中で、いつの間にかある種の「贅沢な悩み」が生じてくる。

「あーまたオランダか」
フィンランドか」
「ロシアか」
「中国か」
「ドイツか」

上記の国はユーザー数がとても多い「常連国」の例であり、たとえ「もう飽きたなあ、たまには他の国がいいなあ」と思っていても高確率で当たる。5通分ドローして5通とも常連国だったなどは珍しい話ではない。それだけに、ユーザー数が少ない国を引き当てた時の喜びは大吉のおみくじを当てたとき以上のものになる。

日本のポスクロファンの間で「レア国」という言葉が飛び交っている。どんな国からはがきが来るのか、またはどんな国へ送ることになるのか。すべては運(機械)任せ。

まさにこれはギャンブルと言っていい。

実際、IDをドローする行為には射幸性がある。長年のファンは一度にたくさんのIDをドローできるが、「レア国」を引き当てようとして一気に20通分のIDをドローし、あとで書き上げるのに一苦労したという話もある。このように冷静な判断ができなくなるほど中毒性を持っているのが「オフィシャル(または先に述べた「普通」)」のポスクロだ。

これこそ、ポスクロが世界の人たちを虜にして止まない本質的な要素ではないか。

ダイレクトスワップは全く別で、ギャンブル性はない。ポスクロはただ相手を見つけるための場に過ぎず、相手が見つかればもうポスクロというシステムは必要なくなる。今の俺のような状態だ。

要するに、ポスクロの醍醐味はギャンブル性に富んだ「オフィシャル」にこそあると考えている。
 
 
 

「FOR YOU」の精神、手紙に

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ポスクロは「お洒落な文通」だが、その根本にはやはり陰気くさい「文通」の要素がある。この陰気くさい「文通」について書いた数年前の文章を再利用したいと思う。

大学3年生の冬。ある広告代理店のエントリーシートに、こんな質問があった。

「今一番魅力を感じているコミュニケーションメディアとその名前を挙げよ」

ここで俺はあえて古くさい「手紙」を挙げ、その理由としてこう書いた。

手紙には、「FOR YOU」の精神がある。手紙を送るには、まず便箋を選んで、用件を記し、封筒に入れ、宛名を記し、切手を貼り、投函しに行くという煩雑な手順を踏まねばならない。受け取った側は、この手紙は私だけのために送られたものだ、というありがたみを感じるだろう。手紙には、伝える内容に加えて、送るという行為の中にも送り手の気持ちが込められている。一方、メールは伝える内容がすべて。手紙に比べると、お金も時間もかからない。メールや電話で簡単に伝えられる時代だからこそ、わざわざ手間のかかる手紙が嬉しい。

こう書いたのだ。今でもこの考えは変わっていない。海外から手紙が届くたびに、この手紙は俺だけのために遠い地の文通相手が時間をかけて送ってくれたんだなあというありがたみを感じる。それはギャンブル性のないダイレクトスワップであっても等しく味わうことのできる魅力の一つだ。というより、ポスクロに限らず、すべての文通についてそう言える。

電話やネットの便利さがあまりにも目立つので、手紙のよさはずいぶん見つけにくくなった。ポスクロはレトロな手紙のよさを人々が再確認するためのいいきっかけになる。ポスクロは趣味以上の趣味になる潜在性を秘めているのだ。さあ、今こそアナログの眼を開け!