黒猫陛下の書斎

「試筆」とは、試し書きのことではない。

すべてが(別の)fになる

久しぶりに書く記事がこんなものでいいのかという思いがないわけではないが、ただのペンクリニック情報サイトに成り下がったままではいけないので、何か書こうと思う。ネタは実はいろいろと溜まっているのだが、今いちばん書きたい(というより、言いたいことが頭の中でまとまっている)ことと言えば、「f」の筆記体の話である。今日はその話をしたい。

 

f:id:ochsk:20170326152456j:plain

 

アルファベットの筆記体は、昔は学校で全員習うものだったが、今は学校で習わなくなっている。少なくとも、俺は習わなかった。学校は「興味がある人は自分で勉強してください」というスタンスだったので、夏休みに一人で習得したのを覚えている。周りの友達も何人か筆記体が書けるようになり、書けるやつはすごい、みたいな風潮があった。みんなどうやって覚えたのかは知らないが、俺は小学生のときに使っていたプラスチックの下敷きにすべてのアルファベットの筆記体の書き方が書いてあったので、それを使って覚えた。まあ、筆記体を覚えたからといって、何かに役に立つということはあまりない。今となっては、海外の人とよく手紙をやり取りするようになって、その恩恵を受けているが、そうでもなければ、無駄な技能の一つに間違いなくなっていた。ブロック体の方が間違いなく読みやすいし、筆記体の方が速く書けるかといえば、実際のところそんなに差はないからだ。今でも、日常生活において筆記体とブロック体の使用頻度は半々だ。これは俺だけの問題かもしれないが、筆記体で書くときは、筆記体を書くことに一定程度の意識を奪われ、書く内容に集中するために割ける意識は、ブロック体で書くときに比べて、相対的に小さい。けれでも、なんとなく使ってしまうのが筆記体。書いていて気持ちがいい。

 

そんな中、少し前から違和感を覚えるようになった筆記体が1つある。「f」の筆記体である。「f」の筆記体は、長い直線が下に走った後、急激に右に曲がって、直線の真ん中あたりまで折り返す。なぜ、左に曲がらないのか。これが違和感の原因である。

 

f:id:ochsk:20170326150956j:plain

 

(1)は通常の書き方、(2)は俺の考えた書き方である。(1)のように右に折り返すよりも、(2)のように左に折り返す方が楽で、書きやすい。「f」の形からしても、左に曲がった方が自然ではないか。楽譜で使われるフォルテの記号も、「f」の下部は左に曲がっている。「f」の1画目と2画目が繋がるように書くのが(2)である。

 

f:id:ochsk:20170326151204j:plain

 

じゃあ、(2)のように書く不都合はあるのだろうか。それが、見つからないのだ。「y」や「g」の筆記体と見間違えると言う人がいるかもしれない。しかし、「y」も「g」も、上半分の右側から降りてくるのに対して、(2)の「f」は、左側から降りてくる。だいたい、前後の文字から文脈的にそれが「f」か「y」か「g」かは容易に推測できる。もしそれが推測不可能で、「f」か「g」か「y」かで意味がまるっきり変わってしまうという重大な場面なら、(2)の書き方はやめておいたほうがいいのかもしれない。そんなことがあるのかはわからないが。

 

f:id:ochsk:20170326151050j:plain

 

逆に、「f」を(2)のように書くことで得られるメリットの方が大きい。筆記体は可能な限りアルファベットを繋げて書くスタイルだが、「f」を(2)のように左回りで書いた方が、次のアルファベットに繋げやすい。それは特に「f」と「f」を繋げるときに顕著である。「f」が2回連続して出てくる単語としては、「puff」「haff」「coffee」「suffer」「staff」「stuff」「buffer」などがあるが、こういう単語を書くときは、(2)のような左回りの書き方が威力を発揮する。ちょうど8の字を続けて書いていくように、スルスルと書ける。

 

f:id:ochsk:20170326151300j:plain

 

よって、(2)の書き方を採用することにした。それだけの話である。使ったインクは紺碧。